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わたくしことkanakanaが、思ったことを書き散らす場です。

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歩車分離式信号

 知人に足を頼まれて、夜の街をバイクでひとっ走りしてきた。体よく使われた感も否めませんが、知人が車を持っていた頃は逆に買い物やなんかで乗せてもらったこともあったんだし、ここらへんは持ちつ持たれつだよなーと思う。
 免許取ってすぐの頃は、気が向いたら深夜に走りに行くこともあったのだが、最近はほとんど買い物や通勤に使うばかりで。夜の京都を走るのは久々の経験でした。同じ道でもやはり夜のほうが気持ちいいなあ。

 で、気付いたのですが、京都にもずいぶん歩車分離式信号が増えている。普段あまり通らない道だから気付かなかったのか、夜だけ切り替わるから知らなかったのか。わたしは法定速度バイカーなので気にならないが、待ち時間が増えてイライラする運転者もいるのかしら。でもこれで事故が減ればそのほうが断然いい。
 歩行者というか特に自転車が赤になっていても突っ込んできて、左折ですら信号が変わるタイミングでしかままならない、ということが京都ではよくある。歩車分離式に替わったことで、渋滞はどれぐらい改善されているのだろう。ちょっと調べてみたけれど、うまく見つからなかった。検索能力を上げたい。

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人付き合い

 触れたくない過去というか、ネットをさまよっていて、自分が10年も前に書いた文章にふと出会ったりして、ちょっとものすごく落ち込んでいる。かつて熱心に書き込んでいたBBSの過去ログである。そのサイトを目指していたわけではないのに偶然にも辿り着いてしまったのである。
 そのBBSでの出会いに限らず、少しの行き違いとか、面倒になってしまったりとか、いろんな理由で人との付き合いを疎かにしてきた。それなりに距離を取ってくれたり、逆に心配してつきまとってくれたり、いずれにしても、相手の行為はそのときは好意として素直に喜べなかった。
 今思うと全てが恥ずかしい。あの頃の自分の思想自体も恥ずかしいし、せっかくできた人間関係を適当に終わらせてしまったことも恥ずかしい。選んできたどの道も全部恥ずかしい。どんな局面でも真逆に進んでいれば今の自分はものすごくいい感じになれていたはずだ!と思い込む。
 友達が少ないって嘆いていても、ねえ、自分が悪いだけだったんじゃないか、分かっていたつもりで分かっていなかったことのいい見本ですな。開眼。

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得手不得手な文

 箇条書きが苦手だ。分かりやすい文章を心掛けたいのに、「問題Aに関する考察a」「問題Bに関する考察b」と書き進める間に、「問題Aにも問題Bにも関連する考察c」が浮上してくる。
 そうやって書いていくうちに、本来書こうと思っていた結論に至るまでに、いやまあ結論に辿り着けないことはないんだが、よけいな話がゴチャゴチャ入り乱れて、自分でも何を言いたくてそれを書いているのか分からなくなって、ああこれって、箇条書きでなくて、構成が下手なだけなのか。
 無味乾燥な文は読んでいておもしろくないんだが、それにしてもわたしの文は分かりにくいと我ながら思う。これも言っておこう、これも盛り込もう、という貧乏くさい根性が悪いのですね。
 取捨選択ができない人生。全然関係ないように見えて実は、ズーキーパーとかシレンとかやってるときに、突然このことに気付いたのでした。どこにでもきっかけは転がっているもんだ。

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古本

 気合いを入れて考えたことをまとめる行為はなかなか疲れるもので、ほぼ書き上げてミルクティでも嗜みつつ最後の推敲と洒落込もうぜって、お湯沸かしてるその一瞬の隙にマイマシンが固まっておった! ギャー!
 一度失ってしまったものは意外に大きく、もう一回あの文章に取り組む気力が湧きません。本日はもう、ダラダラと日記を書いてお茶を濁して良しとすることにする。普段の文調がダラダラしていないかといえば、いや、そういうことを論じているわけじゃないんだ。

 部屋が広ければ少しはこの鬱々とした気分もなんとかなるかと思い、無職でヒマを持て余しているのをいいことに、先日からしばらくずっと片付けに精を出しております。つまりは不要物の処分とも言う。
 すっごいよゴミ出しまくった、45リットルのゴミ袋を通産30個ぐらい出してやった。一般のご家庭では可燃ゴミは一度に2袋程度でお願いしますとか、5割増で無視の方向、ごめんなさい。
 もうね古い日記とか古い写真とかも思い切って全部捨ててやった。いつかそれを後悔する日がくるかというと、意外にこねーんだろーなーと思っている。

 しかし捨てられないのが古い本です。もっとはっきり言うと古いマンガです。
 昔はあんなに好きで必死で集めたというのに、近頃は一顧だにされない作品の数々、それでも捨てるのはあまりに忍びない。売りにいくのも忍びない。あんなに好きだった気持ちを金に換算してしばらく食い繋ぐというのか? やーだー。
 わたしに財布の余裕があれば、あと2畳だけでも広い部屋を手に入れて、読まなくてもいい、ただときどき思い出すためだけの財産として取っておけるはずのマンガなのに。知的財産の拠り所はやはり財産なのです。とか思った。

 結論としては、知人に宅急便で全て送りつけてやりました。岡崎京子作品・センチメントの季節・ぶっせん全6巻、あとおまけ何冊か。せめてもの思い出として何をどう処分したのかここに記すのである。
 ぶっせんは、かなり迷ったけれど、新装版のほうを手元に置いておくことにした。旧版は装丁が凝っているし読みやすいサイズだし、本当に迷ったけれど。
 しかしその知人と来たら「どうせ読み終えたらブックオフ行きだし送料払うよー」などと抜かす。人が! 人がどんな思いで苦渋の決断を下したと思っておるのだ! 物に執着の無い人はいいなあ、と、皮肉抜きで思った本日でした。

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人狼カードゲーム版

 「人狼BBS」というネットゲームがあります。ネットゲーム、という括りでいいのかな。ネット環境を利用した思考パズル、とか言ったほうがより正確かもしれん。

 プレイヤーは全員がとある村に仲良く暮らしているという設定。平和だったある日、村人が人狼に食い殺される事件が起きた。人狼は一般人のふりをして村に紛れ込んでいるらしい。これ以上の犠牲を出さないために、誰が人狼なのか、疑心暗鬼で推理していくというゲームです。
 時間制限のある中で冷静に考えて、状況や各人の発言から手がかりを得る。「論理的思考の訓練とする」と銘打って一時期かなりハマっていたのですが、やっぱ向いてないんでしょうねわたしにはね。
 狼が誰を狙ってどういう結果になったのかなど、誰の目にもはっきり分かる事実がいくつかあって、それを追うだけで充分な手がかりになると思うんだが、実際プレイしていると些細な発言に気を取られやすい。
 そこが欠点だと分かっているのになぜ改善できないのか、とか考えてしまって、ゲームなのに無駄に落ち込むことが多い。ので、手を引いた。

 ところが先日Twitterをうろうろしていたところ、この人狼のカードゲーム版を紹介しているサイトを見つけました。欲しいなあこれ。通販もしてくれるようだ。
 知人が人狼BBSに興味を持っていたんだが、知らない世界に飛び込むのはなかなか躊躇するものだということで、二の足を踏み続けておる。誰でも最初は初心者ですが、自分が初心者であることによって、知らない相手に迷惑かける、ってのは確かに躊躇しますよね。
 しかしまあリアルに8人とか集めようと思うとそっちのほうが難しいけどな。話のタネに持っていたらおもしろいかもしれない。

「#A1FE9F」2007-05-08
「高円寺0分」ゲーム紹介: タブラの狼

 あと、本当に話は全然関係ないのですが、これ欲しい! 絶対買うこれ!

夕方追記
 amazonでも販売しているのを見つけました。上記通販サイトでは簡単な解説書もセットで買えるようだけれど、ある程度のルールは知ってるからそっちはいらないし。他の買い物のついでがあったら購入しようかな。

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