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誰かを案内して一緒に行動するのが苦手だ。
一緒に行動したことのある方に誤解無きように蛇足すると
嫌いではないんだけど苦手だ。ということです。
しかし「蛇足する」って言い回しはどうなんだろうか。
どうして苦手なのか、と考えてみると、
2chの「デートめんどくせえ」系のスレでよく言われるような
こんなお店やあんな場所でその人に楽しんでもらえるだろうか、
という不安、それ以前の問題で、
いかなるお店や場所も詳しく知らないから。である。
いや、まあ、そういう不安も確かに感じてはいるので
相手との人間関係がなってねーんじゃねーのー、
というのはここでは別の話題なので省略しますが、
とにかくわたしは「外の世界」を知らない。
今の「外の世界」って、わざわざカギカッコ付けるの、厨二っぽいね。
わたしは非常なるインドア派なので
それでもまあ週に5回ぐらいは外出もしますけれども
そのうち2回は家の目の前のゴミ捨て場までのアレのことですし
残り3回は歩いて5分の近所のスーパーへの買い出しである。
(独りでもいいので)旅行するとか、友達同士で遊びに行くとか、
そういう娯楽経験が圧倒的に欠けているんだなあ。
昔はそれなりに寺社巡りとかカフェ巡りとかも好きだったのですが。
寺社はともかく、カフェはこのご時世ガンガン潰れていく…。
かくてわたしの居場所はますます家の中だけになっていくのだ。
そういう背景がありますので、
お世辞でも、「楽しかったよ」と言われると
それはもう無常の喜びですよね。
必死の下調べが報われたから、という意味ではなくて、
ああ楽しい場所を見つけられてよかった!という喜び。
書きながら、なんかこう、すごい非人間的というか
人としてその情緒はあまり良くないであろうというか、
そういう感じは我ながらひしひしと抱きました。
[0回]
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「コンクラーベ」と「根競べ」を掛けたネタって、
2005年に急に聞くようになったけども
(というか2005年に一気に言われるようになったんだろうけども)、
それ以前は言われていなかったんだろうか。
と、ふと疑問に思って調べてみたら、
2005年以前直近にコンクラーベが行われたのは1978年であった。
参考:ローマ教皇の一覧 - Wikipedia
この年に、わたしがまだ生まれていなかったのか
物心つかず記憶に残っていないだけなのか
既にボケていて忘れてしまっているだけなのか
それはプライバシーに関わる問題のため厳重に秘すこととしますが、
それはさておき
言葉の歴史とか、語源とか、を調べる方法はあるのだろうか?
以前「モテ期」という言葉の元祖が気になって
ちょっとGoogleを駆使して調べてみたことがあったんだけれど
いかんせんネットでは限界があった。
Googleだって2004年以降の情報しか蓄積されていないのだ。
地道に国語辞書とかイミダスとか調べるしかないのかなあ。
言語学とか文化学とかの専門家だとうまいやり方を知ってるんだろうなあ。
[1回]
編み物のことを知らない人でも編み物のことが分かるように
F1のことを知らない人でもF1のことが分かるように
…とか気にして文章を書いている。いつも。ブログではなくTwitterでもなんでも。
編み物のことを知らない人でも、
わたしのブログに興味があって読んでくださっているとか、
全然関係ないことの検索でたどり着いてなんとなく他の記事も読んでみたとか、
そうだとして、ふと編み物にも興味が出ればおもしろいじゃないですか。
ちなみにわたしのブログで一番人気の記事は
詭弁のガイドライン:サンバルカン編である
まあでもあんまり多分意味はないんだろうなあ。
編み物やF1を知っている人には却って冗長な内容なのかもしれないし
わたしはヌルヲタであるからして
冗長なくせにものすごく的外れなことを書いてしまっているかもしれない。
(話が逸れるのでアレだが、そういう恐怖は常にある。)
そう考えると、2chはやっぱり気楽でいいですね。
ハンドクラフト板なら、ハンクラに興味のある人が集っているのが前提だし
雑談系板なら、興味も得意分野もそれぞれな有象無象が
ただおしゃべりをしたくて集まっていると分かり切っているわけだし。
人気ブログを目指したいならテーマを絞り込め!
とよく目にするが、そういうつもりでもない。
ただそういうこだわりがなぜここまでのこだわりポイントになっているのかというと
それがわたしにとって思想の軸になる部分だからなんだろう。
[0回]
Twitterパスワードリセット騒ぎのあおりを受けて(?)、古いバックアップを発掘したら、なんと、このブログのパスワードも見つかった。自分でも驚きであります。5年越しの投稿。
テンプレートに手を入れたりとか、カテゴリの整理と折りたたみ表示の設定とか、中途半端に移行をしようとしたブログからの記事と画像の移転とか、いろいろやりたいことはあるけど、まあ気が向いたら。「気が向いたら」にしておかないと、たったそれだけのことでも重くて潰れる。
2013/06/07追記
2013-03-01 Jさんより拍手コメントをいただきました。
遅ればせながらありがとうございます。楽しくやっていきます!
[2回]
大阪で勤める友人が異動になるということで、近くの和食処で送別会。5人中京都住まいは2人だけ、過半数ですらない。なぜ。わたしが幹事で楽をしたわけではありません。楽と書いてズルと読む。
ああ、これ一句だな。「5人中京都住まいは2人だけ」。
しかも転勤時期はまだはっきりと決まっていなくて、夏頃になるらしい。まあね、我々学生時代、みんなで卒業旅行行ったけど、実際にその年卒業したのは1人だけだったもんね。
夏にはもう一度送別会をしよう。
みんな京都にずっといるんだと何の根拠も無く思っていた気がする。学生時代と同じような会話はできなかった。同じような会話でもやっぱりリズムが違うというか、逆にそう思うことで歳を感じたいだけなのかもしれないけれど、しかしまあどうしてこんなに人付き合いが下手になってしまったかなあ。
見送られる側が振り向かなければ、見送る側は泣いてるのを見られずに済む。いや、今回は特に泣いたわけじゃないけど、見送るのは見捨てられるようで淋しいと思うこともあるんですよ。
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