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わたくしことkanakanaが、思ったことを書き散らす場です。

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求職

 前の記事でもお分かりかと思いますが、仕事に就くことができました。

 わたしにはなんの取り得もない。知識もないし、技術もないし、外見や性格が良いわけでもない。社会人としてではなく、人間として自慢できる部分が無いと、自虐的になっていた。だけど、このままメシが食えなくなって死ぬのも何故かイヤだった。誰も誉めたり励ましたりしてくれないんなら、自分で勝手に前向きになろうと思ったのですよ。
 見守ってくれる方々、チャットに付き合ってくれる方々、このブログを読んでくださるあなた方(=世の中全員)。全員がニコニコしてわたしを励ましてくださっていると思い込んで無茶をしたら、正社員として採用されることができました。

 ポイントは、疑いなく思い込むことです。そこで「そもそも友達いねーだろー」「誰もわたしを好きなわけねーだろー」「わたしを雇ってくれるような会社があるわけねーだろー」「採用されてもまた孤立無援になっちゃってどうせ長続きしねーだろー」「そんなことねーだろー」って考え始めちゃうと、この方法はうまくいかない。
 前向きにならなくてもいいから、なるべく後ろ向きにならないようにする。これポイントね。いやまあそこを気にしないようにするのが一番難しいんだけどな。でもとにかくそこポイントね。

 疑問は浮かんでも無視していいし、しんどいことがあっても無視していいし、人生の奴隷になりきってひたすら生きる。
 死んでも構わないと覚悟している人には、この荒療治は向かないと思います。だけど、ずっとヒキって寝ているだけだったわたしでも、一応起き上がって立ち上がって歩くことはできたわけです。採用してくれなかった会社もあったけれど、今回は採用していただくことができたわけです。また沈むこともあるかもしれないけれど、また浮上することもできるかもしれないわけです。
 だからなんつーか、ちょっと希望が手元に残った。しかもさー、もしかしてわたしを見て誰かが励まされることも、あったりなんかしちゃったりなんかするかもしれない、そしてそうなったらとても嬉しい。そういう都合のいい将来像だけを見据えて、何も根拠無いのに無理矢理信じてみたら、いい結果になったからこれはきっといい作戦だったんだと思うんだ。

 だから皆様、本当にありがとうございます。

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裏紙問題

 「たつをの ChangeLog」、コピー用紙の裏は使うな!を読んで思ったこと。
 セキュリティに関しては、裏紙に使っていい文書とそうでない文書とを、きちんと分類していないことがそもそも論外であると言えます。何を機密事項とし、何を公表しても構わない情報であるとするのか。何を重要とし、何を重要でないとするのか。そのへんの判断がきっちりなされていれば、何も問題は無いはず。
 そこで、わたしが引っかかったのは「混乱を招くから」という部分です。

ときどき裏紙を一人ブレスト用に使うことがありますが、
その場合はペンで表にでっかい×を書いてから使っています。

 この場合の「表」は、恐らく、裏紙が裏紙でなかった時代の「表」なのでしょう(分かりにくい文章だな。つまり、破棄された内容が書いてあった面を指すのでしょう)。
 これがねー。「表」に大きく赤ペンでバッテンを付けて、且つ、メモ部分にも完了した案件には赤バッテンを付けて、全部の項目にバッテンが付いたらゴミ箱へ。わたしはこのようにしていたのですが、これを分かってもらえなかったときに結構ショックを受けました。上司がゴミ箱からマイメモを拾い上げて曰く、「これ、バッテン付いちゃってるけど、捨てていい物なの?」と。
 個人のメモの取り方にまで説明と同意が必要なのか、そんなことで混乱が生じるような会社が、そもそも論外であるとは言えないのか、というオチはさておき。こういう無駄な軋轢で気力を失わないためにも、そもそも裏紙は使わないようにすべきかもなーと感じたことがありました。

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神経質であること

 人の些細な言動がとても気になる。直接付き合いのある相手に留まらず、例えば街を歩いていてもすれ違う他人が気になったりする。それでふと嬉しくなったりする方面なら良いのだが、イライラさせられる場合のほうが多い。
 それでも、鈍感で無神経で、誰かを傷つけても平気な人よりはマシなんじゃないかな、人に傷つけられるのは自分の一方的な都合なんだから、そのリスクを受けてでも細やかなほうがいいんじゃないかな、と思っていた。わたしからこの性質を取ったら、性格的な長所は何も無くなってしまうんじゃないのかな、と不安に思っていた。
 だけどここ数日冷静になって考え直してみると、細やかさと神経質なのとは全く別問題ですね、ということに気付きました。

 知人と仲違いをしてしまったのです。

我:これこれこういうことがあって、イヤな気持ちになったんだよね…。
彼:気にすんなよ。
我:気にするなって言われて気にせずにいられるのは、そうできる才能を持ってるからじゃん。できない人相手にそれをアドバイスされても、哀しくなるだけなんですが?

 上記のようなやり取りを経て、「わたしはこんなにお前を気遣っているのに、お前はどうしてわたしを気遣ってくれないんだ、ムカつく」と一方的にまくしたてて、相手を悲しい気持ちにさせてしまったのです。しかし仲違いから数時間を経て冷静になって、ものすごく後悔した。喧嘩したことについてだけではなく、自分がいかに愚かだったのか思い知らされたのです。
 カギカッコ内の心の動きを詳しく分析してみると、前半部分は確かに細やかなのかもしれないが、中半部分は神経質なだけで、そして後半部分はまさに自分が無神経になってしまっていることに、気付いてしまったわけです。なぜそこに気付かなかったか分からないぐらい、今は後悔しているのです。

 というか「中半」って変な言葉。前半と後半とで半分ずつなんだから、中半っていうのは変だな。こういうことが気になってしまうのも、神経質なのかなあ、それともそれは細やかさなのかなあ。
 だけど、長所と短所とを分けて考えられないのは、マイナスにしか作用しないのかもしれないなあ。自分の性格のある一点を取り上げて、長所でもあり短所でもあると主張する、それはいいかもしれない。だけど、長所でもあるのだから短所を捨てられない、というのはおかしい。長所部分に伸ばして、短所部分をなるべく減らす努力というのは、できないものだろうか?
 神経質でありつつ鈍感に生きてこられたのだから、全部引っ繰り返してみればいい。細やかでありつつおおらかに生活することも、今更難しいかもしれなくても、可能なはずだ。

 難しいのは、どうやったら他人にイライラせずに生きられるのか、という、結局その一点。そしてその答えは今のところ「気にしない」ことしか無さそう。
 「気にするな」と言われて怒ったのは、相手のアドバイスが理不尽だからなのか。わたしができないことをできる人は羨ましい。だけどそれは、才能ではなく、もしかして努力によって身につけた性質なのかもしれないのに、どうせわたしには無理なんだと諦めて怒った。それは、努力が面倒なことを秘匿して、怒りにすりかえて見せただけなんじゃないのか。

 今はひたすら仲直りしたい、それだけでいっぱい。だが、ここで焦ってしまっては、また、強要するだけだ、仲直りを性急に強要してしまってはいけない。今までたくさん間違ってきたけれども、ここからやり直すことをきちんと見てもらうしかない。相手が今後もわたしを理解してくれることを信じて待つしかない。いや、待つだけではなくて、慎重に正しく行動していくしかない。
 もちろん、無闇に自分が悪いと思い込むことも間違っている。だが、冷静にいろんなことを考え直してみて、やっぱりここはわたしの悪い部分だと素直に思えたのだから、これは正しい結論なのだろう。生まれ変わりたいです。生まれ変わります。

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危険思想

 「自分がされたら嫌なことは、相手にもやってはいけない」、とよく言いますが、これってどうなんかなとか思うのですよ。たまにひねくれたお子様がいらして、「自分は誰かに殺されても構わないから誰かを殺してみたい」などとおっしゃいやがる。そこまで極端な例でなくても、自分の行為が人を不快にさせる可能性があるってことに気付かない人は意外と多くて、世の中は小さな不満で溢れてるわけです。
 で、このよくある教えを、丸ごと引っ繰り返してみたらいいんじゃねえかなと思ったのですよ。シャワー浴びながらふと思いついたのです。どうだろうコレ。

  1. 自分がされたら→相手にやったら
  2. 嫌なことは→喜ぶことを
  3. 相手にも→自分で
  4. してはいけない→ガンガンやろうぜ

 わーどうだろうコレ。1で社交性が、2で想像力が、3で主体性が、4で積極性が、なんかコレいいこと尽くめじゃね? どうだろうコレ。つーか冒頭の教えに基づいて育ったのって、わたしぐらいのもんなのかどうか。

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イベントをつくる側

 京都では、祇園祭が過ぎると梅雨が明ける、と言うらしい。例年なら山鉾巡行の翌日にはそれまでの曇天がウソのように青空が広がったりするのに、今年はその言い伝え(?)も少しハズレ気味で、先週もずっと雨模様だった。昨日は久々に洗濯日和でした、そろそろ梅雨明けなのかな。
 さてもう10日も前の話題になってしまいますが、大きい台風も来ていましたね。雨が続いたのは台風のせいもあったのだろう。その影響で、中止になった花火大会・お祭りなどもあったようだ。そこらへんのニュースを見て回っていると、ちょっと気になる文章を見つけた。

 発見したのは、京都大作戦2007という野外音楽イベント。京都に住んでいながら全く知らなかったが、京都にゆかりのあるアーティストが京都で野外演奏を、という趣旨の音楽イベントだそうだ。イベントの趣旨はさておき、わたしが引っかかったのは、主催者である「10-FEET」というバンドの、イベント中止のお知らせ。

設営班の人たちの話しでは台風ともなると特設ステージなどは簡単に損壊してしまうとの事なのです。
さらに荒天になった場合避難できる場所も無く危 険性が高いという事で中止となりました。

 また、「10-FEET」公式サイトでの、メンバーコメントには、こうある。

設営班の人たちの話しでは「台風が通り過ぎないとスピーカーも吊り下げられずステージも設営できない」との事、台風ともなると野外ステージなどは簡単に損壊してしまうとの事なのです。さらに荒天の中、避難できる場所も無く、危険性が高いとの事で中止となりました。

 これを読んでわたしは、なんというか暗澹とした気持ちになった。
 単に書き方の問題なのかもしれないが、学生時代、サークル活動でずっとイベントの裏方を務めてきたわたしとしては、設営班の人たちの話しでは~との事、という表現は、とても悲しい。「設営班」が、イベントを運営する集団から一歩離れた所に立たされているような表現だな、チームには入れてもらえないんだな、と感じてしまったのだ。
 まあ確かに、演奏するバンドにとっては音響やお客さんのほうが身近な存在で、本来はステージ設営はあまり深く関わるポイントではないので、気持ちは分かる。だけどね、イベントが無事終了したときの乾杯が、バンドにとって究極の一杯ならば、設営班にとってもそれは同様に至高の一杯なんだぜ。そこの気持ちも分かってほしい。

 このバンドが、何故この時期に野外でイベントをやろうと思ったのか、野外でやることのリスクは充分に考えていたのか、そのあたりも気になった。こうしたイベントで「主催者」が何を行うのか、外からでは見えにくいものだ。この業者を選んだのが主催者本人の判断だったのかどうか、どういう基準でその業者に依頼することに決めたのか、それも分からない。
 夏の野外イベントに延期や中止は付き物だし、無理をおして開催に踏み切っても、確かに危険だったり交通事情の悪化でお客さんが集まりにくかったり。普通に台風のニュースを追っているだけでも、怪我人がたくさん出ていることぐらいは分かるはずだ。そもそも、ステージ設営の様子をきちんと見ていれば、そんな天候の中で作業を行うことが、まず第一に設営班にとってどれだけ危険なことか、分かるはずだ。

 こうしたイベントでステージ設営を任されるからには、恐らく「設営班」というのは、プロのステージ設営業者なのだろう。
 プロは賃金をもらう代わりに最善を尽くす。わたしはそういう場面を何度も目にしてきた。賃金の代わりにどんな大変な仕事でも遂行するのがプロなわけじゃない、仕事に見合った賃金をもらうのがプロなのだ。プロの見極めによってダメだと判断されたなら、それは本当にどうしようもないことなんだ。
 そして逆に、設営班が、お金で動く集団であるが故に、チームの一員として迎えられないのだとしたら、それが一番悲しい。お金の有無は、イベントを成功させようという心意気には、あまり関係が無いのに、そこを分かってもらえながちなのが、一番悲しい。

 わたしはステージ設営のプロではない。そちらの道への適性もなかったので、憧れだけで楽しく続けられる職業ではないと思ったので、プロになることも諦めた。それでもやはりこういう文章を見てしまうと辛い。憧れもろとも否定されたような気もして、ますます辛い。こんなことで辛くなってしまうからこそ、プロに向いていないのかもしれない、アマの考え休むに似たりってなもんかもしれない。
 もしかしてこの「設営班」は、プロの業者ではなかったのかもしれないし。書き方の問題だけで、本当は主催者と充分に話し合われた結果の中止だったのかもしれないし。運営班の物言いがまずくて、主催者はこのような書き方をせざるを得なかったのかもしれないし。それは分からない。分からないのに、推測と断定と思い込みの激しさだけでこういう文章を書いてしまうことをお詫びします。

 だけど知ってほしいのです。今週末フジロック観にいく方や、その他にもいろいろ夏のお出かけを楽しむ方に、気付いてほしい。
 チケットの値段はこうした苦労にかかるお金で、そのステージにはそれ相応のプロの仕事も関わっていて、プロというのはステージ上で楽しませてくれる方だけじゃなくて、そしてそれを楽しむあなた方の存在なくしては、イベントは成立し得ないということ。あなた方がお金を払ってくれるから単純にイベントを運営できるのではない。あなた方が喜んでくれるから、その価値のあるイベントをつくろうと思うんだ。
 まあ深く考え過ぎてもアレだけど、行く前とか帰ってきたあととかに、そんなんをふと思い出してくれれば嬉しいです。よ。

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