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わたくしことkanakanaが、思ったことを書き散らす場です。

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暑いので図書館に行き損ねた

図書館で予約していた本、
受け取り締め切りを勘違いしていて、差し戻されてしまった…。
苦節1年をかけてようやく順番が回ってきたところだったのに。

再予約をしようか迷ったが、
なにぶん「腹だけ痩せる技術」というタイトルの書籍なので、
あえてスルーすることにより、
「この人、腹だけ痩せたからもうこの本は不要なのね!」
みたいに図書館員を騙すことができないかと考えている。

せめて図書館員だけでも騙すことができないかと考えている。

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痩せない

今日はものすごーくよく運動をして
そのわりにあまりメシを食わなかったので
もしかしてもしかしてこれは、
0.5kgぐらい痩せちゃってるんじゃないのー?! わくわく!
と体重計に乗ってみたら1kg増えていた。

なんかね、こういう小さな裏切りが積み重なって、
今の怠惰なわたしが出来上がっていると思うんですよ。
どうせやっても無駄なんだ。
そりゃ、なんでも、やればすぐに効果が上がるわけはないさ。
でも毎回裏切られるんですよ、そういう気がするんですよ。

ひとつにはやはり即効を求め過ぎという理由があるだろうし
また、期待を多く見積もり過ぎという理由もあるだろうし
それでもなんかね。毎回裏切られている気がするんですよ。

小さな成功体験を重ねて付いていく自信以上に
小さな失望体験で削れていく自我がある。
大きく期待をもてるというのは
わたしがまだ人生を諦めていないという証拠でもあるだろうが
ちょっと最近元気が無い。

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数(十)年前の思い出

昔、かなり熱心に、とあるバンドのおっかけをしていた。
全国ツアーもできる限り足繁く通って、入り待ち出待ちはもちろん、
とある曲で今や定番となっている振り付けも、わたし達が発祥だと自負する。
その程度の熱心さ。(「かなり」だろうか? 「その程度」だろうか?)

顔と名前を覚えてもらったりはしたんだけど、
あまり、メンバーと仲良くなろうという感じではなくて、
なんつーかシャイだったんですかね。
「今日もお疲れ様でした! また次のライヴ待ってます!」
「あー、ありがとー」
というやり取りを楽しみにしている程度であった。
わー、かわいいー。

とあるイヤな出来事があって、ある日突然おっかけはやめてしまったんだけど、
本当にある日突然、もういいや、と、パタリと情熱が無くなってしまったんだけど、
最後はイヤなことがあったけど、それまでは楽しい思い出を作れていたわけで、
そして、バンドの黎明期を支えたのはわたし達だ!という、妙な自負があって、
CDは、全く聴けないのに処分もできなかった。

どころか、実は、その後の新譜も、開封もしないくせに購入したこともある。
わー、気持ちわりいー。…いや、マジで…。
「支えてる」つもりになってたんですよね。我ながら昏い情念だ。
こういうのを、まさしく「痛い」と言うのだなと思います…。


さて本日のことである、朝からよく働いて気分的に勢い付いたので
唐突に久々にそのCDを引っ張り出してきてエンコードしてみた。

試しに1曲聴いてみたら、意外にも特にイヤな気持ちにはならなかったのだが、
もっと単純に、今のわたしの耳には合わなかった。
ので聴くのやめた。実にカジュアルに停止ボタンを押した。

好きだったことや楽しかったことは、覚えているし、確実に事実なんだけど、
じゃあどのように好きで何が楽しかったのか、それは全く覚えていない。
もはや、心配していたほどのダメージは残っていなかったけれど、
期待していたほどの糧にもなっていなかったんだな、と、残念でもある。

まあ不思議ですよね。という思い出話。


2013/06/28追記
2013-06-27 Jさんより拍手コメントをいただきました。
昔好きだったものを楽しめないのは、もったいないかも。と思いました。
大袈裟に言うと人生の楽しみを一つ無くしてしまったわけで。機会損失?
でも、無理矢理好きでい続けることもできないしなぁ。
イヤな思い出云々はさておき、歳取るといろいろ変わりますね。

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「自信」

飽きっぽいのと無計画なのとで、
仕事(?)・趣味・生活雑事、何事も少しやっては放置放置で、
やりかけのいろいろが増えるだけ増えて
完了に至るまでにとても時間がかかることが多いのですが

数日振りとか、数週間振りとか、数か月振りとか、
久々に再開して作業に向き合ったとき、いつも、
「え…以前のわたし…なんでこんな処理してんの…?」と思う。

んで慌てて過去の記録や思い出をひっくり返してみると
意外にもそれはおかしな処理ではなくて
他にやりようがないので仕方無く採った結果である。ことが多い。

自分を信用できないから、おかしな処理にしか見えないんだよな。
例え何千回の成功経験を重ねても、だ。

昔はもうちょい深刻視してて、
というかこういう問題に突き当たるたびに過剰に悲嘆してて、
我ながらそれはそれで手が付けられなかった感じだったけど
今は少し突き抜けてしまって、多少の欠点には目をつぶれるようになった。

毎日落ち込むだけ落ち込んで暮らすよりは
気にせずに明るく過ごすほうがいいだろうけど
欠点だと自覚しているなら治す方向を目指すほうが
さらに良く生きられるんだろう。

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ダメな人に甘い

近所のスーパー。
年度替わりに大幅なメンバー入れ替えがあったらしく(いや、知らんけど)、
いつもいた無表情だが有能なメガネのお姉さんがいなくなって
代わりにわたしより少し年下っぽいお姉さんが毎日レジに立つようになった。

昔の職場の同僚に化粧が似ていて、目を引かれたので
なんとなく毎回その人のところに並んでしまうんだけど
見ていて気付いたのだが、このお姉さんが、はてしなく要領が悪い。

というか多分気が弱いんだな。
ちょっと会計が混み出したときに、店内放送で応援を呼ぶとか、
ちょっと複雑なクーポン券の処理を、隣にパッと訊くとか。
そういう動作をいつも迷っている。

でもこの人は毎日笑顔でがんばっているように見えるので
嫌いではない。というか好きである。

以前いた別の店員さんは、手が遅い上に客に話しかけまくるんで大っ嫌いだった。
このお喋りがまたうっかり聞こえちまうと大変不愉快で…。
「あなたまだ子供は作らないの?」とか言ってたときには仰天した。
どんなに空いていてもそのレジには並ばなかった。

でも、観察の結果判断したんだけど、
あれは多分、自分の手が遅いのを自覚した上でのお喋りだった。
仕事ができないのを愛想でカバーしようという作戦だったんだろうな。
その戦略は大失敗だと思うけど。
それはわたしの思う「がんばっている」うちには入らない。

ダメな人は嫌いじゃない、がんばっていない人が嫌いなんだ。
単なる傷の舐め合いかもしれねーなーとも思うけど。

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