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もう一週間ぐらいずっと、「しぬたい」のあれかもしれないという文章のことを、もうずっと考えている。身に染みてつらい、と言ったら筆者のトミヒロさんに失礼だと思うけれど、それでもやっぱり自分と重ねて考えてしまう。
「わからないことは何でも聞いて」って言ってたから、仕事中にわからなくって聞いたら「自分で考えて」って言われほったかされて、結局、私も周りもものすごく困る事態が生じちゃって、「なんでわからないのに自分でやろうとするの? どうしてちゃんと聞かないの?」って怒られたりとか、
「本当に分かってたら失敗しないはずだ、やっぱり分かってないんじゃん。もう二度と失敗すんな、あと分かってるってウソつくのもやめろ」という叱責を何度か受けたことがある。違うと思う。本当に分かってんだけど、なぜかやっちまうのが失敗の本質であるかと。
分かってるはずなのに失敗しちゃうのはなぜかなあ。単に疲れていて必要な手順を疎かにしていたり、やっぱり分かってないってことに自分でも気付いていなかったり、そもそも自分で自分が分からなくなるような手抜きな生活をしていたり、そういうことだろうか。ならば責任は自分にある。信用されて任されたのに、信用に足るだけのことをしていないのだから。
しかし、いけないことだと分からずやっちまうのは、失敗とは言えない。無知は、恥かもしれないが、失敗ではない。知っていて当然のことなのに、怠惰によって勉強せずにいたのでない限り、無知は失敗じゃない。しかも、指導者がきちんと指導していないことのほうが、原因としては大きい。
初心者が事に不慣れなのは当たり前で、それを差し引いても任せようと判断して、或いはそこをよく考えずに任せてしまって、あまつさえ適切な指導をせず、ならば責任の大部分は指導者にある。指導者が直接決めたことでなくても、指導者 *側* に責任がある。「分かってねえなあ」ではなく「ここを、分かってねえんだよ」と指導する責任が、一番おおもとのところにある。
暴言を吐かれて不愉快になるのは当たり前だけれど、だから相手が悪い、と思ってしまいがちです。わたしはね。それはそれとして横に置いておいて、自分は何が悪かったのかを反省すること。
そして一番重要なのは、自分の悪い部分と相手の悪い部分とを比較しないこと。あと、あれだけ相手が言うんだから、自分だけが一方的に全面的に悪いに違いない、という思い込みも大敵。どっちもどっちでわりーんだからさあ。
問題は客観性。
卑屈になってはいけないし、不満ばかりになってもいけない。自分を過大評価も過小評価もしてはならない。指導者を過大評価も過小評価もしてはならない。きちんと自律できているのか、指導者に不足はないのか、自信を持って判断できるだけの客観性。
自信を持つというのは最大級に難しいことだががんばって生きていくよ。