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小説版「電脳コイル」1巻を読みました。

電脳コイル 1 (1)

 アニメが毎週面白いので、小説版も買ってしまいました。文庫だと勘違いしていたので、本屋でなかなか探し当てられず苦労しましたが、新書ノベルズのコーナーに置いてあるのをようやく発見。「トクマ・ノベルズEdge」というレーベルからの出版で、お店によっては、もしかして子供向け新書コーナーにあるのかも。

 アニメを楽しみにしている方にもぜひおすすめしたい1冊ですが、実際に読むのは、アニメが全話放映完了してからのほうがいいかもしれません。著者である宮村優子さんの、三番目のユウコ通信には、

第1巻を読まれてもアニメ版のネタバレになることはないと思いますが、違いもふくめて、アニメ版をよりよく楽しむためのガイドブックになれればよいな、と…。

とありますが、個人的な感想としてはネタバレな部分もあるかもしれない。というのは、後述しますが、小説版では世界観が詳しく理解できてしまうからです。アニメ版の独特の空気が好きならば、小説で先に知識を得てしまうのは不本意でしょう。
 しかし、上記サイトにはまた、

今後、第2巻、3巻…とアニメ版を踏襲しつつも、こちらはまた新しいキャラクターを登場させながら独自の物語を展開させてゆく予定ですので、以後長いおつきあいのほど、よろしくお願いいたします!

と書かれています。また、小説奥付には、TVアニメーション『電脳コイル』とは、世界観・キャラクターその他設定の異なる別作品として成立したものです、ともあります。
 基本的な背景は同一でありながら、言葉が主体になるとこんなにも切り取り方が違うのか。少なくともわたしにはそのように楽しめました。

 初見の人への不親切さ具合は、アニメ版に勝るとも劣りません。とはいえ、不親切ポイントはアニメ版とは少し違います。小説版では、専門用語やその背景などが丁寧に説明されています。電脳メガネとは何か、どのように子供に使われているのか、なぜ子供に大流行なのか。
 では、わたしは何を不親切ポイントだと感じたのか。それは一言で、登場人物の心象の謎さ加減につきます。話は目まぐるしく移り変わり、人称も目まぐるしく移り変わる。登場人物がなぜそのような行動を取るのか、人物同士は通じ合っているのに、それがわたしに響いてこない。
 しかし、そうした構成は理解の妨げになるわけではありません。むしろ、2巻以降できっといろいろな謎が明らかになるんだろうなあと、楽しみにさせる展開の仕方です。
 以前も何度か「戯言シリーズ」について書きましたが、あの作品では、物語の主眼は謎を明らかにすることにはありませんでした。「電脳コイル」は、読み終えたときにきっとヤサコやイサコの気持ちが理解できるんだろうなあと、そういう書き方がされています。ていうか、これで裏切られたらちょうガッカリする。

 また、特筆すべきは台詞の鋭さ。あー、本当はこの部分を一番言いたくてこの文章を書き始めたのに。ネタバレせずにその素晴らしさを伝えるのは、難しいなあ。
 調べてみると、宮村さんはもともと脚本家で、この「電脳コイル」が初の長編小説なのだそうです。「六番目の小夜子」「どっちがどっち!」「ゆうれい貸します」なんかは見てた見てた。脚本と小説とでは書き方や発想も違うのだろうとは推測できますが、脚本家ならではの台詞の美しさがここに現れているんだろうなあと納得しました。
 それと相反して、映像や音楽の後ろ盾がなく台詞と地の文だけで世界を描いていくことに、慣れていなさそうな危うさは感じました。上述した人物の行動の不可解さも、ここに理由があるのだろうと思います。

 実はこの1巻は5月に発売されていて、第2巻は7月に発売予定なのだそうです。続きを長いこと待たずに済むのはちょうどよかった。今後も続刊が楽しみです。

070708追記
 脚本と小説との違い(?)について、少し加筆修正しました。

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