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わたくしことkanakanaが、思ったことを書き散らす場です。

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add「文化」について

 前エントリに引き続き、Twitterの話題です。  わたしがTwitterを知ったのは、「林檎の木」というソフトウェア紹介サイトででした。newtonさんの文章は毎日読んでいて愉快なので、こういう方の呟きが流れ込んでくるのはきっと面白いだろうな、と思いました。
 あっという間に案の定Twitterにハマって、もう少しFriend登録を増やしたいな、と思い、次に見つけたのがTwitter検索です。普通に検索するのみならず、ひたすらこのページをリロードしては、おもしれーことを言ってる人を追っかけて見、ProfileにURLがあればそちらも追っかけて見、こうしてaddまたaddを繰り返し、というふうに使わせていただきました。
 公式にもPublic Timelineという参加者全員の発言が見られるページがありますが、Twitter検索では、日本語ユーザーに限定して検索でき、且つ過去の発言も全て見られるのがありがたいです。

 前書きが長くなったよ。今回書きたかったのは、
 では、わたしはどういう人をaddするのかとか(具体的には。口調が愉快な人(読むだけでもう元気にさせてもらえる)。自分をaddしてくれた人(こんなわたしに少しでも興味を持っていただけたとしたら超嬉しい)。趣味が合う!人(楽しくレスできたりレスされたりという機会も増えるだろう)。境遇が似通ってそうだと感じた人(それこそ一方的な感情移入)。とかですかね。)、
 逆に、どういう人はaddしないのかとか(具体的には。専門用語が多い人(話が全く分からないのはあんまり楽しくない)。最終発言がもう何日も前の人(Followされるのは全く構わないのです)。分からない言葉の人(英語ならなんとか)。FriendやFollowerの数が3桁とかの人(なんっちゅーか恐れ多い)。とかですかね。)、
 それでも、自分とは違う世界を垣間見ることができるのはおもしろいから、どんなユーザーであってもしばらく眺めるのは楽しいよ、それが例えbotとかスパムであっても楽しいと思う。とか、
 だけど、気軽にaddしたりされたりすることが「文化」という単語で表現されるのはなんか変な感じがするという、既に語り尽くされた感のあるテーマを改めて考えたりとか、
 その場合「気軽」の意味のほうで引っかかるんじゃないかなあ、Public Timelineに表示されるアイコンを片っ端からaddってのは「気軽」とはまたなんかちょっと違うような、としつこく考えたりとか、
 add返しされない自分はやっぱりつまらないことしか言えない、繋がる価値を見出せない人間なのだなあと底無しにガッカリしたとか、
 実際わたしはTwitterで、Twitterでなくてもこのブログでも、実生活でも、何か価値のあることを言えているのか?とか、
 例えネガティブテーマでも、張り切って展開させればそれはきっとポジティブな行動のはずなんだと強がったりとか、
 まーでも誰かのふとした言葉に元気になることもあったりして、そういう、いい意味で自己中心的な人間になりたいとか、
 ある方が「ネガティブトゥイート不要」と書かれているのを見て、すっごい自己批判しつつそういう自己批判が自意識過剰なのだと思いつつ全力で同意した結果、わたしもがんばろう!という前向きないい気持ちになったことだとか、

 まあなんかそんなんです。書こうと思ってたのは。本当は。
 addすること / されることについては、こちらのお三方のご意見に、共感できる部分が多かった。敬意を込めてリンク。

「あんプリン」Twitter - 発動編
「Lazy twitter.」addについて少しだけ考えてみた。
「ジャポニカ忍法帖」Twitter雑感

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