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「ぶっせん」で大ハマりした三宅乱丈の新刊。この人の作品はわたしにとって好き嫌いの幅が広過ぎる。前述のぶっせんに加えて、「北極警備隊」「ヒーローズ」は大好きなのです(後者は原作付きだが)。イムリは「ペット」寄りの内容だということだが、どうだろうか。連載では全然追っかけていないので、不安に思いつつも、とりあえず単行本は買いました。
結論を言うとあまり好きではなかったです。
話は面白い。不思議な世界で不思議な人たちが不思議な力を使って生きていく。世界も人も力も、作者の異常な脳内を余すところ無く表現しておると思う。三宅乱丈はどうしてこうも変なことを発想できるんだろうなー。
だけど一つ不満を言うならややこしさだ。一読しただけでは理解しにくい世界観のややこしさ、それは特に気にならない。いきなり全てを理解できない物語は世の中にたくさんある。しかし、それを読み解くために、再度読み返そうという気力があんまり起こらない。
それは絵柄がややこしいからだ。筆で描いたような独特の絵柄は、いつもは魅力的なのだけれど、背景とキャラとが渾然一体として読みにくいことが多々ある。そしてさらに今回は、なぜかキャラ同士の区別がつきにくい。名前がカタカナだと覚えにくいという理由もありつつ、特に序盤ではデュルクとガヴィドとを見失ってしまって大変だった。
今思うと、髪形が違うから2人は簡単に見分けられるんですよね、なのに初読時は必死だった、どうしてだろう。世界観に飲み込まれずに読もうとするので精一杯で、キャラの理解は二の次、と、無意識に姿勢を定めていたのだろうか。そして3巻も引き続き読むつもりです。まだまだ気になることが解明されていないのに、絵柄だけでここでやめてしまってはもったいないと思うので。
職にありついてしばらく経った。そろそろ慣れて気が弛んでくる頃なので、ガンガンいかねばなるまい。
しかし毎日が大変です。寝に帰るだけ、ってほどじゃないが。シャワー浴びたりはするが。
あとはまあ、仕事に関することを覚えるのが精一杯で、ブログに書きたいようなことを感じるヒマが無い、これがなかなかしんどい。そもそも帰宅してもPC立ち上げる時間も無いんだけどさ。
しかし疲れるのはいいことだと思う。重要なことも忘れるほどの疲れだとアレだが。毎日を丁寧に暮らせて、且つ、余計なことを心配するようなヒマはなくて、そういう適度な疲れはいいものですね。
心が弱ったときには身体を動かせ、つーのは、そういう意味だよな。でもわたしは運動全般苦手だけどな。「運動全般苦手」。「最終兵器彼女」みたいですね。
前の記事でもお分かりかと思いますが、仕事に就くことができました。
わたしにはなんの取り得もない。知識もないし、技術もないし、外見や性格が良いわけでもない。社会人としてではなく、人間として自慢できる部分が無いと、自虐的になっていた。だけど、このままメシが食えなくなって死ぬのも何故かイヤだった。誰も誉めたり励ましたりしてくれないんなら、自分で勝手に前向きになろうと思ったのですよ。
見守ってくれる方々、チャットに付き合ってくれる方々、このブログを読んでくださるあなた方(=世の中全員)。全員がニコニコしてわたしを励ましてくださっていると思い込んで無茶をしたら、正社員として採用されることができました。
ポイントは、疑いなく思い込むことです。そこで「そもそも友達いねーだろー」「誰もわたしを好きなわけねーだろー」「わたしを雇ってくれるような会社があるわけねーだろー」「採用されてもまた孤立無援になっちゃってどうせ長続きしねーだろー」「そんなことねーだろー」って考え始めちゃうと、この方法はうまくいかない。
前向きにならなくてもいいから、なるべく後ろ向きにならないようにする。これポイントね。いやまあそこを気にしないようにするのが一番難しいんだけどな。でもとにかくそこポイントね。
疑問は浮かんでも無視していいし、しんどいことがあっても無視していいし、人生の奴隷になりきってひたすら生きる。
死んでも構わないと覚悟している人には、この荒療治は向かないと思います。だけど、ずっとヒキって寝ているだけだったわたしでも、一応起き上がって立ち上がって歩くことはできたわけです。採用してくれなかった会社もあったけれど、今回は採用していただくことができたわけです。また沈むこともあるかもしれないけれど、また浮上することもできるかもしれないわけです。
だからなんつーか、ちょっと希望が手元に残った。しかもさー、もしかしてわたしを見て誰かが励まされることも、あったりなんかしちゃったりなんかするかもしれない、そしてそうなったらとても嬉しい。そういう都合のいい将来像だけを見据えて、何も根拠無いのに無理矢理信じてみたら、いい結果になったからこれはきっといい作戦だったんだと思うんだ。
だから皆様、本当にありがとうございます。
「たつをの ChangeLog」、コピー用紙の裏は使うな!を読んで思ったこと。
セキュリティに関しては、裏紙に使っていい文書とそうでない文書とを、きちんと分類していないことがそもそも論外であると言えます。何を機密事項とし、何を公表しても構わない情報であるとするのか。何を重要とし、何を重要でないとするのか。そのへんの判断がきっちりなされていれば、何も問題は無いはず。
そこで、わたしが引っかかったのは「混乱を招くから」という部分です。
ときどき裏紙を一人ブレスト用に使うことがありますが、
その場合はペンで表にでっかい×を書いてから使っています。
この場合の「表」は、恐らく、裏紙が裏紙でなかった時代の「表」なのでしょう(分かりにくい文章だな。つまり、破棄された内容が書いてあった面を指すのでしょう)。
これがねー。「表」に大きく赤ペンでバッテンを付けて、且つ、メモ部分にも完了した案件には赤バッテンを付けて、全部の項目にバッテンが付いたらゴミ箱へ。わたしはこのようにしていたのですが、これを分かってもらえなかったときに結構ショックを受けました。上司がゴミ箱からマイメモを拾い上げて曰く、「これ、バッテン付いちゃってるけど、捨てていい物なの?」と。
個人のメモの取り方にまで説明と同意が必要なのか、そんなことで混乱が生じるような会社が、そもそも論外であるとは言えないのか、というオチはさておき。こういう無駄な軋轢で気力を失わないためにも、そもそも裏紙は使わないようにすべきかもなーと感じたことがありました。