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わたくしことkanakanaが、思ったことを書き散らす場です。

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ただの日記にしたくない、しかし、ただの日記であってもよい

 歯磨きの片手間に、掃除・洗濯・料理と、やらねばならんことを列挙していて、ふと思った。歯磨きって片手と脳しか動いていない。もう片腕と両足は空いているわけだから、この間に掃除機がけができちゃえばいいのにー。
 現実にはそうはなかなかできなくて、わたしの場合の最大の理由は、掃除機がけにもそれなりに頭を使うからです。複数のタスクを並列してこなせる人はすごいよなあ、と、常日頃から思っているわけですが、それは今日の本題ではない。

 歯磨きと掃除機がけが両立できない2番目の理由。それは掃除機が結構重くて片手では操作できないからなのです。じゃあさあ、腕が3本あればいいんじゃね? 1つの手で歯磨きして、残り2つの腕で掃除機がけする。
 しかし現実には腕が3本ある人はなかなかいないし、人間に腕をもう1本増やすというのもなかなか難しかろうと思う。あーじゃあさあじゃあさあ、片手でも扱いやすいような、軽くて小さい掃除機があればいいんじゃね?
 ふと冷静になると、うちの掃除機はもう10年前に買った物なので、今ではもっと軽くてコンパクトな商品も出ているんだろう。実際に「片手でラクラクおそうじ!」みたいなCMもよく見かけますね。ですが、その瞬間わたしの中に「これってもしかしていけるんじゃね?」という興奮があった。

 「アイデアマラソン」というものが世の中にはあるらしい。わたしがアイデアマラソンを知ったのは「質より量」というサイトででした。公式サイト「アイデアマラソン発想システム」によると、基本ルールは簡単。

「発想の分野を限定しないで、個人が考えたものを、即時、できるだけ早く、できるだけ短く、ノートやパソコンデータに記録し、周りに話をする」発想システムです。
どんな発想法を利用して出してもかまいません。

 初めて知ったときは、そんなの役に立つのかなあ、と思いました。だって自分がせっかく考えたアイデアでも、もうとっくに実用化されている事柄がたくさんあるんだろう。ガッカリして無知を嘆くだけの結果になりかねん。

 だけどさっきの掃除機の話。ぼんやり考えているときには、確かにわたしは途方もなくワクワクしていたのです。これ事実。その後落ち着いて、やっぱりこの発想(腕3本)には穴があることを発見したけれど、さらに考えればその穴を克服することができた(軽い掃除機)。
 そこでまた穴が見つかって、また考えて克服して、という繰り返しはとても重要だと思うのですが、だが、自分一人だとどうしても発想には限界がある。アイデアマラソンで「周りに話をする」ことがわざわざ基本ルールに挙げられているのは、このことが理由だろう。

 だけど残念なことに、わたしには友達があんまりいない。話をできる相手がない。これ事実。じゃあどうするか。書けばいいわけです。ここやどこかに。
 ネットって素晴らしいもんで、面と向かって喋ることが苦手なわたしでも、こうやって書いた文章を誰かが読んでくれるかもしれないわけです。さらに誰かが何かを思えば、なんらかの形で反応があるかもしれないわけです。
 反応がないかもしれないがそれはガッカリするべきポイントじゃない。正確に言うと、いったんはガッカリしてもよいが、いつまでもガッカリし続けるべきポイントじゃあない。反応されないような文章を書き続ける自分がガッカリポイントなんだな、と落ち着いて反省することができた段階で、また一つ階段を登る。
 そもそもつまらない文をあえて公表するのってどうよ、って、思っちゃうときには先日書いたを思い出してがんばる。がんばるんだわたしは!

 と、ここまで書いて、先日、下手でも他人に公開する勇気というすごい文章を読んだのを思い出した。わたしの言いたいことがこんなに簡潔に言い表されてるじゃん。わたしはこの文章やここ数日のTwitterなんかでのやり取りに無意識に引きずられてただけじゃねえのか。
 思わず躊躇するけれども、だけどもこの文を公表するよ、わたしはがんばることを、ここに高らかに宣言します!

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得手不得手な文

 箇条書きが苦手だ。分かりやすい文章を心掛けたいのに、「問題Aに関する考察a」「問題Bに関する考察b」と書き進める間に、「問題Aにも問題Bにも関連する考察c」が浮上してくる。
 そうやって書いていくうちに、本来書こうと思っていた結論に至るまでに、いやまあ結論に辿り着けないことはないんだが、よけいな話がゴチャゴチャ入り乱れて、自分でも何を言いたくてそれを書いているのか分からなくなって、ああこれって、箇条書きでなくて、構成が下手なだけなのか。
 無味乾燥な文は読んでいておもしろくないんだが、それにしてもわたしの文は分かりにくいと我ながら思う。これも言っておこう、これも盛り込もう、という貧乏くさい根性が悪いのですね。
 取捨選択ができない人生。全然関係ないように見えて実は、ズーキーパーとかシレンとかやってるときに、突然このことに気付いたのでした。どこにでもきっかけは転がっているもんだ。

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「村田エフェンディ滞土録」を、読む予定です。

村田エフェンディ滞土録

 数日前に発売になったはずの、梨木香歩のこの新刊。正確に言うと新刊ではなく、単行本の文庫化です。張り切ってあちこちの本屋を探し回っていたのですが、どこにも置いていない。これまでにも何度か、本が発売予定日通りに発売されていない経験があるので、今回もそうなんだろうか。
 明日また本屋行って出てないようだったら、もうこの際だから他にいくつか欲しかったものと合わせて注文しちまうかなあ、そう思ってamazonを眺めていると、重大な思い違いをしていたことに気がついた。それというのも! わたしは、一生懸命に新潮文庫の新刊コーナーを探し回っていたのだ! 本当は角川文庫からの発売でした!
 これまでの梨木さんの文庫本は全て新潮社から発行されているので、今回も当然そうだろうという思い込みでした。これを読んでいるどなたかや将来のわたしがまた同じ過ちを犯さないために記しておく。明日また本屋行ってきます。

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「ひまわりっ~健一レジェンド」4巻を読みました。

ひまわりっ~健一レジェンド~ 4

 半年前まで狂ったように読みふけっていた東村アキコ作品。「ゑびす銀座天国」がとても素晴らしい作品だったので、そのスピンオフとも言える「ひまわりっ」も、何度も読み返していた。んだけれど、そろそろ熱も落ち着いてきた。
 1巻は父の健一に振り回される日常を描いたコメディ、だけど2巻3巻と進むにつれ、アキコと健一2号の恋物語にシフトしてきて期待の展開、と思いきややっぱりギャグマンガ。ギャグでもあり恋愛ものでもあるストーリーが面白い、という意見よりは、ギャグでもなく恋愛ものでもない中途半端さがつまらない、という意見のほうが同意できてしまう…。
 失望したという意味ではないんですよ、我ながら続刊も買うとは思うんですよ。だけどもっとアキコのかわいい笑顔と健一2号のかっこいい姿を見たいので。まあ、東村アキコの恋愛マンガを読みたければ「きせかえユカちゃん」があるからなあ。

きせかえユカちゃん (1)

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客観力を身に付けたい

 もう一週間ぐらいずっと、「しぬたい」のあれかもしれないという文章のことを、もうずっと考えている。身に染みてつらい、と言ったら筆者のトミヒロさんに失礼だと思うけれど、それでもやっぱり自分と重ねて考えてしまう。

「わからないことは何でも聞いて」って言ってたから、仕事中にわからなくって聞いたら「自分で考えて」って言われほったかされて、結局、私も周りもものすごく困る事態が生じちゃって、「なんでわからないのに自分でやろうとするの? どうしてちゃんと聞かないの?」って怒られたりとか、

 「本当に分かってたら失敗しないはずだ、やっぱり分かってないんじゃん。もう二度と失敗すんな、あと分かってるってウソつくのもやめろ」という叱責を何度か受けたことがある。違うと思う。本当に分かってんだけど、なぜかやっちまうのが失敗の本質であるかと。
 分かってるはずなのに失敗しちゃうのはなぜかなあ。単に疲れていて必要な手順を疎かにしていたり、やっぱり分かってないってことに自分でも気付いていなかったり、そもそも自分で自分が分からなくなるような手抜きな生活をしていたり、そういうことだろうか。ならば責任は自分にある。信用されて任されたのに、信用に足るだけのことをしていないのだから。

 しかし、いけないことだと分からずやっちまうのは、失敗とは言えない。無知は、恥かもしれないが、失敗ではない。知っていて当然のことなのに、怠惰によって勉強せずにいたのでない限り、無知は失敗じゃない。しかも、指導者がきちんと指導していないことのほうが、原因としては大きい。
 初心者が事に不慣れなのは当たり前で、それを差し引いても任せようと判断して、或いはそこをよく考えずに任せてしまって、あまつさえ適切な指導をせず、ならば責任の大部分は指導者にある。指導者が直接決めたことでなくても、指導者 *側* に責任がある。「分かってねえなあ」ではなく「ここを、分かってねえんだよ」と指導する責任が、一番おおもとのところにある。

 暴言を吐かれて不愉快になるのは当たり前だけれど、だから相手が悪い、と思ってしまいがちです。わたしはね。それはそれとして横に置いておいて、自分は何が悪かったのかを反省すること。
 そして一番重要なのは、自分の悪い部分と相手の悪い部分とを比較しないこと。あと、あれだけ相手が言うんだから、自分だけが一方的に全面的に悪いに違いない、という思い込みも大敵。どっちもどっちでわりーんだからさあ。

 問題は客観性。
 卑屈になってはいけないし、不満ばかりになってもいけない。自分を過大評価も過小評価もしてはならない。指導者を過大評価も過小評価もしてはならない。きちんと自律できているのか、指導者に不足はないのか、自信を持って判断できるだけの客観性。
 自信を持つというのは最大級に難しいことだががんばって生きていくよ。

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