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何かのレビューをするときには、できるだけamazonにリンクするようにしています。画像があれば画像に、なければ仕方無しにテキストだけですが。これは簡易書誌情報代わりのつもりです。
まず、画像があると、どんな作品なのかイメージしやすくなるかなーというのが一番の狙い。「絵」が作品の主体ではないような、例えば小説などでも、画像のインパクトは強力だと思うのです。自分が興味をもった作品について、文章を読んでくださった方にも興味をもってもらえれば嬉しい、というのが目的です。
また、詳細情報を本文に書かなくて済むのも便利。作品についてより詳しく知りたい方には、一つリンクを踏む手間をかけさせてしまうわけではありますが。主題に関わらないことがだらーっと書かれていたり、自分で検索しなければならなかったり、そんなのよりはマシかなと。
もちろんリンク先は発売元の公式サイトでもいいんだけれど、簡単に画像を引っ張ってこれるamazonは楽。間違ってることもあるし、詳細情報が無いこともありますが、その場合はなるべく公式サイトなどで探すようにしています。
しかし問題は、万が一このリンクから商品が購入されると、わたしも儲かる仕組みになっていることなのですね。アフィリエイトというやつです。儲けるのが目的でないと言い切るのなら、アフィでなくただのリンクでいい。なのにやっぱり、あわよくば、という目論見もある。ここらへんについてはちょっと考え中です…。
あと、きちんと調べていないので詳しく書けませんが、はてなはこういう点で優れていそうだなーと思う。何かを引用する仕組みがきちんとできているようなのは素晴らしい。
なお、リンク作成にはamazletツールというブックマークレットを使っています。テキストのみ・画像のみ・レビュー付きなど、いろんなパターンのリンクを簡単に作れるのがありがたい。画像のサイズを整えられるのもわたしに取っては便利なところです。
こうしたツールは他にもいろいろあるようですが、Firefoxではうまく動かなかったりしました。自サイトをお持ちの方はお試しあれ。
原作:小森陽一・漫画:久保ミツロウ、「トッキュー!!」15巻を読みました。
この巻に掲載のあたりからマガジンを読まなくなっていたんだなあ、1話目からいきなり見覚えがない。話もちょうど前巻でいったん一区切り、この巻では新章からの始まりとなったこともあって、新鮮な気持ちで読めた。正直に言えば、このマンガは連載で毎週じりじりさせられるのが楽しい作品なのだが。
しかし久保ミツロウは相変わらず話の緩急が上手いなー。この巻では特にそれを感じました。シリアスな長期的ストーリーと、合間合間に挟まれるテンポのいい短期的ギャグと、両面を併せ持ってマンガとして成立させているのが美しい。前作「3.3.7ビョーシ!!」もそういう構成だったので、原作者ではなく漫画家の力量に拠るのだろうと思う。
マガジンの公式サイトでは、トッキューの連載第1話をまるごと読むことができますよ。講談社太っ腹。
5月からNHKで放映されているアニメ、電脳コイルを見ています。何話か見逃した回もあったのですが、今日はこれまでの放映分をまとめて再放送ということで、午後はずっとアニメ鑑賞の日でした。
以前も書きましたが、魔法は科学がものすごく進化したものである、という設定の作品が好きです。電脳コイルの世界では、「魔法」という言葉ではなく科学は科学のままなのですが、描かれているのは確かに非日常。例えば、駄菓子屋は、身近でありつつも非日常感を手軽に楽しめる場所だと思うのですが、その駄菓子屋で電脳アイテムを売っているというのは面白い。
全26話で5月から放映開始ということは、年末に終わるのかな。それでも、すでにDVDが9月に発売予定なのですね。以下、なんとなく思ったこと。
昨日はいつもとちょっと違う髪型にしていた。東村アキコの「ドライアイス」「ゑびす銀座天国」に出てくるコオロギ君のようで、鏡に映る己が、いつもよりなんだかいい感じだった。まぁ、それは錯覚なんだが、しかしこんな簡単なことで浮上できるのはいい兆候かもな、と思う。普段はなぜにマイナスな感情から抜け出せないのだろうか?
たまたま見ていた日本橋ヨヲコスレに、「期待を持たずに生活するのがいい。悪いことがあっても絶望せずに済むし、いいことがあったら予想外に喜べてお得だから」というようなレスがあった。よく見かける意見ではあるが、それも違うと思う。悪いことがあったらやっぱり落ち込むよ。つーか完全に期待を捨てて生きることなんてできないよ。
街で素敵な人を見かけるとカッコいいなーと思う。自分も少しはいい服を着ていい髪型にしてみたい。だが、普段の足がバイクなので、転倒とか汚れとか考えたらオシャレ服は着ていられない、メットかぶればせっかくの髪形だって崩れる、どっちみちそこに金をかける余裕はないんだし。なら気を遣わなくていいや、という方向に考えてしまう。なのに、そのときは諦めてしまうくせに、ほとぼりが冷めるとまた羨ましくなる。
結局気付くのは、諦めがつかないわりには実行力の無い、自分のだらしなさだ。バイクに乗るなりのカッコつけ方ってあるだろう? 金がなければ節約すればいいだろう? あーつまり、実は本気じゃないから行動にまで至らないのか。カッコつけたい欲求とめんどくささとが、天秤で量られてる過程なのか。あーつまり! これって自分探し(この歳で)?! そしてそこでまた落ち込んで、というところまで含めた悪循環。
これは些細な一例であって、本当は生活のあちこちにこんな悪循環がある。総じて、何か行動したいと思うのになかなか重い腰を上げられず、そういう自分に自己嫌悪。そこで沈むからよけいに何をする気にもなれない。そういう悪循環だ。
ここで気付いたのですよ。悪いことがあるから落ち込むってだけではない。自分で勝手に、より悪いところまで想像の翼を広げてしまうから、さらにしかも長期的に落ち込むんじゃないのー、と気付いたのです。期待を排除して生きることができない、それが悪いのではない。期待が外れても振り回されない強靭さ、それがわたしに欠けているのが悪いのだ。
ここ数日ずっと考えている。ずっと低調な知人がいる。なんとかして励ましたいものだと思う。しかし、わたし自身が励ましてほしいぐらいの現状なので、いつも言葉が空回りしてしまう。誰かに浮上してほしいと思うのは、その誰かを好きだからだ。好きな人がへこんでいる姿はあまり見たくないからね。わたしはまあ生きるよ、だからあなたも生きといてくれろよ、と言いたい。だけど言えるほど立派な自分じゃないとすくんでしまう。
そんなら話は簡単じゃねえか。相手を励ますために一念発起すればいいじゃねえか。本当は、本気で相手を好きではないから動けないのか。それとも、単に自分がダメだから動けないのか。そもそも、誰かのためにしか張り切れない自分が悪なのか。そんなことを考えていても相手は励まされない、そう思ったのだったら動けばいいじゃねえか。動いても無駄だったら、また違う方法を考えればいいじゃねえか。
悪循環を改善したいならば、考えるのをいったんやめて動け。考え過ぎて、これ以上いくら考えてもぐるぐる廻るだけ、そこまでは良しとしよう。けれど、悩むあまりに止まってしまう権利は、今のわたしには無いのだと肝に銘じろ。可哀想なようだが、自分はそんなに立派な人間じゃないと思い知るがいいよ。
実際にはそんなにうまくはいかないだろう。悩むのは先が見えずに恐いからだ。それでもようやく取った行動がやっぱりハズレで、右往左往している間に年齢だけは重ねてしまって、改めて違う道へと進むにはもう遅過ぎたりするのかもしれないし。二度と動けなくなることと、今動かないことと、何が違うのかと言われればまるで説得力の無い説得だし。
だが、自分の中の車輪が止まれば、今度こそ本当に二度と動けなくなってしまうんだよ。そっちのほうがよっぽど恐いことなんだよ。
話は全く関係ないので締めに持ってくるには気が引ける話題ですが。冒頭で紹介した東村アキコの「ゑびす銀座天国」は、集英社の公式サイトにて試し読みができます。コオロギ君大好き。彼の髪型を見てみたい方はこちらでどうぞ。
似合わないとよく言われたりするのですが、おととしぐらいからF1を見るようになりました。単に車の速度に興奮しているだけで、好きというわりに別に詳しくもないのですが。ルールや戦略といった専門的な部分はあまり分かりません。
というわけで、知識を貯えるべく、先日からずっとWikipediaでF1に関する項目を読み漁っています。F1ドライバーの一覧など、個性的なドライバーが多くておもしろい。野球選手一覧なんかも面白いですよね。
しかし、最近の若手ドライバーについては、人物エピソードがあまり書かれていない。記事が充実するのはまだまだこれからなのか、それとも昔のほうが個性の強いドライバーが多かったのか。一般には後者だと言われていますが。
なんとなく気付いたのは、すでに故人となっているドライバーの死因について。レース中の事故死はもちろんだけど、オフタイムの交通事故や飛行機事故で亡くなっている方が多いこと。交通事故はともかく、飛行機が意外でした。乗り物の事故ということで不思議な因縁を感じたり、単に自家用機の安全性は低いということなのかな、と思ったり。
事故と言えば、先日開催されたカナダグランプリでの大クラッシュで、生命さえ危ぶまれたロバート・クビサ。驚くべきことに、軽い捻挫と脳震盪だけで、ほとんど全くの無事だったそうです。よかったーよかったー。
そのクビサのインタビューが「F1通信」のクビサ、モントリオールの無傷に驚く:退院後インタビューで読めるのですが、印象に残った一言。
ポーランドでは、『怪我をしない程度のことは人を強くする』と言うんだ。
出身地であるポーランドの諺でしょうか。何事もなくてもいいから日々を確実に生きることの大切さ。最近「何か成し遂げなければ生きてる意味が無い」という悪想念に取り憑かれていたので、染みる言葉でした。
ちなみに原文では「We say in Poland -- what doesn't hurt you makes you tougher.」となっています。わたしの解釈は深読みし過ぎかも。