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今日、このメールの受信があったんだけど、事前に知らなかったので、緊急地震速報なのだと勘違いしてかなり驚いた。 [京都市シェイクアウト訓練] bousai-kyoto-city.jp/bousai/shakeou…
— kanakanaさん (@kanakana) 2013年3月11日
京都市では,3月11日(月)午前10時30分に緊急速報メール(災害・避難情報)を発信し,全市一斉のシェイクアウト訓練を実施しました。
京都市シェイクアウト訓練、毎日引きこもってネットニュースを常に見ているわたしが知らなかったということは、告知不充分だったのではないか。いや、もしかして、バスや地下鉄の車内広告とか、きちんと社会生活を送っていたらそれなりに目に触れるような場所での宣伝はされていたのかもしれないけど。
— kanakanaさん (@kanakana) 2013年3月11日
@kanakana こういうのは町内会があれば回覧板とかで回ってそうですけど、入ってないと掲示板かウェブ・市報とかで知るしかないかも知れないですねぇ…
— uǝ!ſさん (@Jien) 2013年3月11日
というご指摘を受けたので、検索してみたら、京都市シェイクアウト訓練、市民しんぶんの最新号を確認したら掲載されていた。読んだ…はずなのに…読んだ…はずなのに…。というわけで「告知不充分なのでは?」という前言は撤回でごめんなさいである。PDF注意→ city.kyoto.lg.jp/sogo/cmsfiles/…
— kanakanaさん (@kanakana) 2013年3月11日
「市民しんぶんに載せているから充分である」とは言い切れないだろうけど、受け取る素地があったのに気付いていなかったのは自分が悪いし、きっちり読んでるつもりでいたのにそうではなかったので何より恥ずかしい
— kanakanaさん (@kanakana) 2013年3月11日
「告知」って、たいがい一方通行なもんだけど、
皆さんは、日記を書くのにどのぐらい時間をかけますか。ネット上で公開するものか自分だけのものか、紙に書くのかPCで書くのか、何かしながら書くのか集中して書くのか。そこらへんでも変わってくるとは思うけれど、わたしの場合は短いものでも2~3時間。生活における行動の比重としては、ちょっと手間をかけ過ぎじゃないかと、文才の無さを常々嘆いている。
いや、それは単なる文才の無さとは少し違うのかもしれないな。なぜなら、こんなふうに書いたら誤解を生むかもとか、そこらへんの言葉の選び方で悩む時間が長いからだ。挙句に最初に書きたかった結論から遠ざかってしまったり。より正しい理解をしてもらうために腐心するのはともかく、あまりに些細なことまで気にし過ぎることが、いけないのかもしれない。
いっそのこと、自分的禁止語句を設定しちまえばこんなに悩まなくて済むのかも、と思うぐらいだ。その言葉自体はもちろん、そこに繋がるような思考も、避けるようにする。
そもそも、ネット上で言葉を発するにあたって気の弱さは是か非か、ということについてしばらくずっと考えていた。それは良く言えば丁寧なことなんだろうけれど、悪く言えば単に気が弱くて優柔不断なだけだ。是非というか、プラスに作用する場合とマイナスに作用する場合とでは、どちらが多いだろうか?ということ。
だいたい、ある程度の誤解や不理解は、ネット上に限らず在り得るもんなんだから、それはもう割り切って書いちゃうよりほかないだろうと思う。そこに齟齬が生まれれば、直接やり取りをしてほどいていくよりほかないだろう、と。直接やり取りをできない相手との齟齬は、気にしても仕方が無いだろう、と。
そう割り切れず気になってしまうのは、気の弱さではなく病気なのだろうか。だとしたらそれはどうすればいい? 修行あるのみで克服できる病気なのだろうか。「感情を抑えることができない」というのは、短気な人を指して言うことが多い表現だと思うが、こう無闇に悲しくなってしまうのもまた、抑えることが難しい。
今日のこの文章も、元々は、知人とのチャットに端を発したものだった。知人のネット上日記に対して、わたしが意見を述べたら、なかなか話が噛み合わず、「まあいいや」と言われてしまったのだ。
文字だけで意思疎通をしようと苦労しているときに、「まあいいや」と言われてしまう絶望がお分かりでしょうか。思い当たる節のあるユーは、この文章を読んだ今まさに猛省していただきたいものです。
しかしまあ、チャット以外の場所でお互いを分かってるからこそ、そういう不用意な物言いもできてしまうのだろうし、体力的精神的余裕の無いときに、文字だけでの意思疎通はとても難しいものだし。日記などなら、公開する前に独力で充分推敲できる。けれど、チャットでの推敲は、齟齬を埋め合わせていく根気強さを、相手にも強いることになる。分かってはいるさ。
と、ここまで書いてようやく気付いた己の愚かさ。
自分が相手に与える不快感だけではなく、相手が自分に与える不快感にも、同様に覚悟をしておくべきだったんだ。なぜ片方だけを見落としていられたのだろう。齟齬もそれにまつわる感情も、それを問題とするならば、そもそも備えて気遣いすることで回避すべきだったのだ。起こってしまえば仕方が無いから、そこでようやく対処方法を考えても遅くはない。
相手への気遣いだけじゃない、自分への気遣い。度を過ぎればそれもまたただのマイナス思考になってしまうだろうから、その点には注意しなければならないが、しかしまあ、わたしは精神的防御力が低過ぎる。この文章も足掛け一月半、今日だけでも5時間、だけどそこに気付けただけでも、時間をかけた甲斐はあったなあと、これは自己満足かしら。
とあるブログを読んでいて、思うところがあったので意見を述べようとしたら、コメント欄がなかった。まあ書きたかったのは些細な一言なのでそれはいいんだけれど、驚いたのは、コメント欄がないことにガッカリした自分の感情だ。
誰かのウェブサイトを見ていて、当然のように筆者や読者と意見交換ができると思い込んでいたその前提が、我ながら少し面白かった。
ちなみにそちらでは、意見のある場合はソーシャルブックマークでお願いします、と記載されている。なるほど、正負どちらの方向であれ、話題として取り上げられることはイコール宣伝になるんだなー。SBMをブログの筆者が積極的に利用している事例を初めて見たので、感心した。
そしてわたしはどこのSBMも使ってないのでそのブログに意見する資格がない。あと、SBMをコメント代わりに使うならば、読者同士の交流はわりと切り捨てられがちだと思う。
んで、話はだいぶ逸れますが、2chのスレ紹介ブログって、わたしは昔はあんまり好きではなかったのです。だけど最近はよく読む。これは自分の2chの利用方法が以前とは変わってきているからだと気付いた。
昔は2chは意見交換の場だった。もう少し広げて、交流の場、とか。情報提供してもらう代わりに情報提供したり、まあ拙いなりに自分の意見を書いたり、あんまスレとは関係ない会話を楽しんだり。
それが最近は情報源として使うようになってきている。ちょっとしたことを調べるには、Googleで世界中を検索するより、該当スレを見つけてスレ内検索するほうが、手っ取り早かったりする。ログは、定期購読するものではなくて、いざってときのために蓄積しておくものになった。
2chが情報源としてそれなりに信頼に値するものに変わってきていることとか、わたしがチャットやTwitterなんかの他の場所にて淋しさを埋め合わせることを覚えたからとか。いくつか理由はあると思うんだけど。
一番大きいのは多分、ノイズに耐えられなくなったせいだろう。元スレをそのまま参照すると、面白いレスを楽しむだけで済まない。それにまつわる余計なレスのほうがよっぽど多い。そしてその余計なレスを楽しむ余裕が、わたしに無くなってきたのだと。
だから、重要な部分を抽出したスレ紹介ブログは有用。そして今度はブログ筆者の選別センスが問われたりする。
だけどまあ、誰かが一般的に面白いと思うことはたいてい他の人にも面白かったりするので、そこらへんのセンスは実はあまり重要ではないのかもしれないが。
んでブログの話に戻るけれど。
交流という小さなメリットを切り捨ててでも、荒れたりとかノイズとかの大きなデメリットを回避する。これは、わたしの目指したい方向とは明らかに違うけれども、なるほどそういうやり方もあるのだなーと感心した。
わたしは基本的には自分のために文章を書く。覚え書きであったり、書いて整理して落ち着くためであったり。誰かに意見を求めたいこともあるが、それは結局その意見を自分にフィードバックするためのもの。
だけどやっぱり2番目には、誰かのためになる文章を書きたいとも思うのだ。共感されたり反感をもたれたり、ネタ提供になったり、暇潰しになったり。なんでもいい、どんな意味でもいい、我が文を楽しんでほしい。
そんで、楽しんだことをしるせる場所があったほうがいいな、と思うのだ。強制するわけじゃない、そうしたいなと思ったときに、そういう場所は準備されていたほうがいい。
それと、上で「誰かの意見は自分にフィードバック」と書いたが、誰かの意見がさらにまた別の誰かにフィードバック、これも重要ではないかと。単にわたしが間違ったことを書いてて、訂正してもらえたりとかもあるだろうし。
ブログでもなんでも、主と従とのやり取りになりがちで、従と従とが会話することがあまり無いのはもったいないと思ってしまいます。いや、大勢に読まれているサイトならば、そんなこともないか。
ネット界全体が、過渡期を経て、単なる情報源になっていくのはつまらないと思うのです。個人で書いている日記サイトには、何かしらカオスの要素をはらんでいてほしいと思うのです。
システムドライブの空き容量が1.5MBな今日この頃、皆様いかがお過ごしですか。わたしは元気です。
パーティション切り直すためにOSの再インストールしたいしたいしたい、ってずっと前から言い続けながら騙し騙し使ってはきたのだけれども、そろそろ限界です。最近異音がひどくなってきていることでもあるし、とりあえずバックアップだけでも取っとけ!と張り切ってライティングを試みるも、「不正なメディアです」という謎のメッセージと共に停まってしまう我が外付けDVDドライブ。あー。
まあ1枚は捨てる覚悟で再度焼き直すもダメ。やはり同じところで「不正なメディアです」。内蔵CDドライブに替えて焼き直しても「不正なメディア(ry」。ライティングソフトを替えても「不正なメ(ry」。念のため外付けに戻してもう一度試すも「不(ry」。これってもしかしてメディアが悪いんじゃなくてなんか別の要因なんじゃないのー、と気付くまでに5枚を無駄にしました。
しかしライティングソフトのヘルプってあれ、どうしてあんなに不親切なのでしょうか。個々のエラーメッセージに対応する答えが準備されていない。仕方無しにGoogle姐さんにご足労願うことになりますが、結果ははかばかしくない、まあこれはわたしの検索能力の低さも悪いのでしょうけれども。
結局よく分からなかったのでとりあえずディスクのクリーンアップとデフラグを済ませたら、空き容量は75MBに増えました。最後にもう一度バックアップするべきモノを確認するためにこうやってブラウザを立ち上げていて、あー、この間に空き容量はガンガン減ってるんだろうよなあ。こんなの書いてないで一刻も早く焼くべきだよ。
しかし思えばここにも悪循環はつきまとっていて。
この場合解決方法はどこにあるのだろう。まとまった金額って言ってもたかが10万とか20万とか、なら、普通に働いてがんばって節約すればすぐに貯まるお金なんだろう。けれど、そもそも今のわたしには職が無い。職が無ければ就職すればいいじゃない! ごもっともですね。
だけどさー職探しするにもネットは有用なわけで、しかしページを1つ開くのに5秒とか10秒とかかかってイライラするわけで、ああつまり、そういう些細なことでイライラして何事も進まないというのはこれ、結局働きたくないことの言い訳なんじゃない?と言われても否定できない。
まあもう少し端的に申し上げると、自分が無職であることを少し前の記事から仄かに匂わせつつあるわけです。前向きでなくてもいいから行動するしかないんだぜってのは自分に向けた言葉なのですね、とか、後付け解説カコワルイ。
だがしかし、いつものように自虐日記で終わりたいわけではないんだ! せっかくなので今回バックアップ取る予定のものを列挙しておくのだよ。
いかがでしょうか。これ抜けてるよ、とか、こんなの必要じゃないか、とか、ご意見ありましたらお知らせください。わたしは元気ですが再インストールがうまくいかなければ二度とこちらへ戻ってこられない可能性もありますが、ともかくお知らせください。