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堀潤に対する期待も批判も、ちょっと勘違いがあるような気がする。アナウンサーは自分の考えを話しているのではなく、与えられた原稿を正確に読むのが仕事。ジャーナリストとしての訓練はまったく受けていないので、彼に「ジャーナリズム」を期待するのがそもそも間違い。
— 池田信夫さん (@ikedanob) 2013年5月6日
日々に生起する社会的な事件や問題についてその様相と本質を速くまた深く公衆に伝える作業。
アナウンサーとキャスターの違いは何ですか。
アナウンサーは職業の種類で、キャスターは番組の中での役割の一つだと考えてください。ニュースキャスターという言葉にはっきりした定義はなく、アメリカではアンカーと言ったりしています。一般的にはニュース番組の総合司会者、束ね役、仕切り役、またはニュースを伝えながら解説する人を指します。
地震で大変な思いをしている日本にいいニュースが届けられてよかった」
私がイメージしていた“朝ドラ”のお母さんとはちょっと・・・いや、かなり違いますね。ヒロインのいちばんの理解者で、いつも笑みを絶やさないお母さんが私の“朝ドラ”のお母さん像でしたが、春子はヒロインや周りの人たちに当たり散らします(笑)。
おとといの家族に乾杯を見ていて、栗山千明はとても礼儀正しくまた無邪気に明るくかわいらしかった。通常のゲストや鶴瓶が「家族に乾杯なんですけど~、どうも~」とか言いながら無造作に一市民の生活に侵入していくところを、栗山千明は「あの、NHKの、鶴瓶の家族に乾杯という番組でこの街を訪れさせていただいております、栗山千明と言います、どうぞよろしく、ところで今ちょっとお時間よろしいですか? お話させていただいてもよろしいでしょうか?」と。
なんて美しいんだ。
みんなが目を奪われたあの鮮烈なキルビルでのドSっぷりや、2chでよく見る「千明様にいたぶられたい」という例のネタ、我々はあまりにもそのイメージに囚われ過ぎていなかったかと。猛省したのです。
しかし前述の番組内で「タコが食べたい、できれば刺しで」などといかにも酒豪っぽい発言をしていたのは事実だ。そしてあの美貌はあの吊り目の魅力に起因することも恐らく真実だ。ということは千明様は、やはり、見た目違わず豪傑且つ冷徹な恐ろし女性なのだろうか。
性格が表情を作るのか、表情が性格を作るのか。それともその表情もまた、彼女の単なる特徴であって、そういうイメージを作り売り出すための持ちネタの一つに過ぎないのか。というようなことを考えた。
もう一昨日になってしまいましたが、中学生日記を久々に *真面目に* 見ました。「NHKがヲタ文化を!」ということで注目された今話のようでしたが、実はNHKって昔っからヲタのすくつなんだぜ、だから大好きなんだぜ、というのはさておき、あらすじ。
東桜中3年C組の平川佳奈(ひらかわ かな)は、文章を書くのが大得意。土岐頼晃(とき よりあき)と共にクラスの新聞委員を引き受け活動をしている。そんな佳奈には誰にも言えない秘密がある。佳奈はボーイズラブに熱中する“腐女子”なのだった。佳奈を腐女子の世界に引き入れたのは、同じクラスの中島由美子(なかしま ゆみこ)。クラスの誰とも関わろうとせず、変わり者あつかいされている由美子と、明るくて人気者の佳奈。一見、正反対の存在だが、ふたりは「隠れ腐女子」の絆で固く結ばれているのであった。 しかし…。
注:あらすじを含む番組紹介は、こちらにキャッシュ保存をしてあります。ただしフレームのおかげで見にくいです、あと、魚が恐いです。ちなみに、毎週更新される公式サイトの次回予告はこちら。(070617追記。次回予告の動画はもう見られないようですので、ご注意ください。)
もうこのあらすじを読んだだけで大体の物語が分かってしまう感じなのが悲しい。まーネタバレになってしまいますが、主人公のカナちゃんが非ヲタのトキに恋をするんだけれども、ヲタであることを理由に嫌われたらどうしようと一喜一憂する、最終的にはお友達から始めましょってことで丸く収まる、そんな話だ。
言いたいことはただ一つ。「どうして、腐女子だってことを隠さなければならないの?」「男子だってエッチな雑誌見ることもあるでしょ、それと一緒」というようなカナちゃんの台詞に、大いに引っかかった、ということ(台詞は恐らく正確でないです。記憶に頼ってごめんなさい)。
これが「どうして、ヲタだってことを隠さなければならないの?」ならば、多分わたしはイライラしなかった。だけどそのイライラの理由をうまく文章化できずにいたときに、「pe^le-me^le」の同人誌出版と商業出版を読んで、ああそうかと腑に落ちた。
とりわけコミティア関係者(だったと記憶する)による、「ボーイズラブ系の女性同人誌作家は、自分が描いているものが『猥褻物』だという認識が低い」との発言が印象に残る。
元の文章は、「同人誌と表現を考えるシンポジウム」という集会のレポートなので、ここで引用するのはお門違いかもしれませんが、いやいやしかし腑に落ちた。中学生日記制作者は、BLが猥褻物(かもしれない)という認識が低いんじゃないか。
ドラマの主眼が、「性について明るく語れる社会にしようよ」とかなんかそんなんであったなら、これもまた、ここまでわたしをイライラさせる原因にはならなかったと思う。しかし、番組を見ていた限りでは、単に「趣味嗜好によって誰かをいじめたり仲間外れにしたりするのはやめようよ」という主張をしたいがために、BLがネタとして引っ張り出されてきただけのように見えた。
そこにイライラする。カナちゃんが腐女子であることは別に構わない。「あんたもエロに触れることがあるんだから、あたしたちがエロに触れたっていいじゃない」それもおk。だが、その主張を振りかざして、目の前でBL同人誌を読まれるのは、ちいっと不愉快。ここまで書いてきて、ようやく自分の気持ちに気付きました。押し付けにイライラしてんだわたしは。
まあとにかく中学生日記は好きな番組であっただけに残念だし、あと、繰り返して言いますがわたしはBLは嫌いで百合のほうがどっちかというと好みです。
プライバシーの垂れ流しによって迷惑を被ることについては、「ratio - rational - irrational」の電車内メイクを読んでいろいろ考えたりしたのですが、こちらについての考察をまとめるのは、また別の機会に。